くにひろヨーロッパ珍道中 1999
プロローグ
この旅日記は、いまから9年前(1999)の秋のヨーロッパ旅行の日記です。
ぐるめくにひろを立ち上げて間もない頃、強行スケジュールでパルマとミュンヘンを訪ねました。今の私の原点と言える旅かもしれません。この文は、当時のくにひろたよりで連載させていただきました。
「あの旅日記をもう1度読みたい。」と熱烈コールをいただいて、写真付きで改めてアップさせていただきます。当時のくにひろたよりは、ファックスのみでしたので、このようにカラーの写真を添えることが出来ませんでした。お楽しみください。
今、ミラノ行きの飛行機の中で。
久しぶりのヨーロッパです。イタリアは、15年ぶりです。パルマの生ハムに出会ったイタリア以来です。ワクワク。
全航空距離9750km、現在シベリア上空。高度、10700m、残りの飛行時間、約6時間。
「近くなったヨーロッパ、狭くなった地球。」と言われますが、狭いシートでの10数時間の暮らしは、いつまでたってもなかなか慣れません。
私が初めてヨーロッパへ行ったときは、アンカレッジ経由でした。長距離バスがドライブインに寄ったような、日本とも、目的地とも、違う空気にふれられて少し得した気分だったのを覚えています。今でも、直行便でなく香港経由だったり、どこかを経由すればこの気分を味わえるのでしょうか?でも現実には、時間がないなかでの強行旅行になってしまうため、直行便などになってしまい、余暇を楽しむようには、なりにくいです。でも今回は、ボローニャで日曜日を迎えます。当初の予定では、なにも活動のできない日曜日を、移動日にしていましたが、飛行機の都合で日曜にイタリアの田舎町で1日を過ごすことになりました。余暇を楽しめるかもしれないスケジュールになりました。
ミラノ国際空港に着くとバスで市内に入ります。窓から元気にに走っている小さい自動車をながめていると、「車がきれいだ、新しい。」事に気がつきました。前に来たときは、古い車、アチコチぶつけている車が多い印象でしたが、東京と変わらない。ファッションの町ミラノのためか?イタリアの経済がよくなったのか?は、わかりませんが。バスを降りて地下鉄に乗り換えホテルへ。荷物をおいて夜のミラノの街へ足をむけました。DUOMO駅(大聖堂)大きく立派な静観な大聖堂は、なにかのイヴェントのためにライトに照らされその姿を闇夜に浮かべていました。大聖堂前広場では、オペラ座からの帰りの正装をした人たちが目に付きます。私は、広場近くのカフェでビールとオリーブの酢漬けとアンチョビのベーグルでイタリアの初日を祝いました。
-ミラノからボローニャへ-
ミラノから新幹線に乗って約2時間でボローニャに到着。
ボローニャでは、ホテルが決まっていないので、ホテル探し、ホテルが決まったら、パルマハム工場・オリーブオイル工場へのアポ確認。いよいよ食の都、ロマーニャエミリア(emilia-romagna)で始動。
ロマーニャエミリアは、食の都、名産物は、パルマのプロシュット(生ハム)・バルサミコ(ワインの醸造酢)とパルメジャーノレジャーノ(パルメザン粉チーズ)があげられる。私の大好物ばかりです。
パルマ(parma)とボローニャ(bologna)の間にあるモデナ(modena)には、手づくりスポーツカーメーカー、フェラーリの本拠地であり、フェラーリ博物館やテストコースも見物できるとのこと。イモラ(imora)やサンマリノ(san-marino)とモータースポーツも盛んな土地です。その他、モデナの大聖堂は世界遺産にも指定されています。ビザンチン、ロマネスク、ゴシックからルネッサンス時代の建築物多く有名な建築家の建物が多く見られます。イタリア北部のロマーニャエミリアは、州北部を流れる大きなポー川から枝分かれした数々の川流域に豊かな穀物地帯が広がり、小麦、葡萄栽培や豚や牛の畜産、酪農も盛んな土地です。ルネッサンス期は、イタリアの台所として大きく広くロマーニャエミリアは、繁栄しました。
-ボローニャ&パルマ-
ボローニャは、ロマーニャエミリアの最も大きい都市です。赤い屋根が連なるその町は、ヨーロッパ最古の大学あることでも知られています。
駅に降り立ち観光客で賑わう駅舎の旅行者インフォメーションは大変混雑していています。気が焦る私は、大聖堂前広場にあるインフォメーションまで街の散策をかねて歩き始めました。週末にでる市のテントが立ち並ぶ坂道をあがりながら、大聖堂広場につきました。インフォメーションでホテルマップをもらい近くのホテルから順に空き部屋を聞いて歩きました。週末は、ホテルがいっぱいで5軒目でやっと1部屋を確保しました。
生ハム工場、オリーブオイル工場は、土曜日で電話に出ません。工場の場所も住所もわからないままの出発になってしまったので不安になりながらも街に出て腹ごしらえです。カフェでプロシュットとサラミのサンドウィッチを食べながら先ほどの市や街の散策をしました。
翌日の日曜日は、お店もなにも休みで身動きがとれないだろうなと思いながらも、万が一工場への連絡が付かないときのために自力で動けるようにと情報収集にパルマに出かけました。
パルマの町のなかでバスやタクシーの運転手さん、カフェのマスターなどに生ハム工場の場所をきいてもわかりません。田舎町では、英語は、ほとんど通じず、イタリア語で書いたメモを見せて訪ねる状態。てごたいのある情報を得られずまま、モデナに移って世界遺産の大聖堂でも見に行こうかなと思いながらも、明日の夜には、ミラノ戻らなくてはなりません。日曜日の今日を無駄にするわけにいかず、地図や時刻表を手に入れ、インフォメーションの場所やレンタカーオフィスの場所を確認しながら、イタリア語でメモを書いてハム工場の場所を聴きながら日が暮れていきました。
-パルマハム工場訪問?-
ほぼ、全滅の状態でボローニャ方面への電車に乗りました。日曜の夜の電車は混んでいて食堂車でビールを飲みながら地図や時刻表を確認していました。相席した方に聞いてみると英語の通じる方でいろいろとアドバイスをしてくれました。次の駅で一緒におりて、いろいろな人に聞いてくれるとのこと、なんとわらをもつかむ思いで途中下車しました。いろいろな方にきいてくれたり、電話で知人にも聞いてくれましたが、パルマの山の方だろうということしかわかりませんでした。ただ、その人が「ボローニャの市場があるからそこできくといい。」と言っていました。ボローニャに市場にがあるというのは、大きな収穫です。ホテルまでの帰りにボローニャの市場の場所を確認して明早朝に備えました。
明日は、月曜日、事前にメールでお願いした工場とも連絡が取れるかもしれないし、市場ならある程度の場所がわかるかもしれないし、生ハムのパッケージには、工場の住所が書いてあるかもしれないし、昼間までの不安が嘘のように小さくなり、希望がムクムクと私のなかで育っていくのがわかります。
元気になりお腹が空いてきました。
ピッツェリアで夕食をとることにしました。生ハムとオリーブとアンチョビのピザと赤ワインで満腹なり、ボトルに残ったワインは、ホテルに持ち帰りいよいよ明日です。
ロマーニャエミリア最終日・パルマハム工場訪問?
イタリアに入ってからやっと平日がやってきた、朝早く起きて市場へ出かけることにしていた、市場の場所は、昨日の夜に確認済み、ロマーニャエミリア最終日の今日、朝4時起床、もちろん朝はまだあけていない。夜明け前のボローニャをオレンジの水銀灯が照らしている。ホテルから歩いて3分ほどと近いことに感謝です。
市場に1歩足を踏み入れると月曜日の朝、暗いうちから活気がある。チーズのお店、肉屋、ハム屋、パン屋、食料品屋、スペースを大きくとっているのは、やっぱり八百屋さん、ところ狭しと野菜たちが積み上げられている。どこのお店もオープンの準備で忙しそうで元気です。こうなると私も元気になります、問題のプロシュートのラベルよりなんだか、うれしくなってチーズやらバルサミコやら肉の値段やらと気になって気になって、楽しくってしょうがない。
買いものもしないのに朝の忙しいときに、僕の相手なんかしてくれるだろうか?
Dove et proscioito fabbrica? (生ハム工場はどこですか?)何度も言っているうちに覚えてしまった。そんなことを考えながら、うろちょろしていると、おいしいそうに切ってあるプロシュート発見、ちょっと味見をさせてもらって、当面の食料にと、生ハムひとかたまりを購入。
そこで、”Dove et proscioito fabbrica?” パルマ市全体の地図を見せて話してみるとご主人の息子さんが奥から出てきて、英語で親切に対応してくれた、パルマから山の方へ2・3駅行って、そこからタクシーかレンタカーらしい、小さい3つの町を教えてくれた。(Sala,Felino,langhiran)
工場のある村の名前と場所がやっとわかった、この地名のために3日かかった。
あとは、現地に行って工場を探すだけ、俄然やる気が出てきた、ホテルに戻って荷物をそろえてチェックアウトして駅へ、予定していた電車に間に合ってホームへ駆け込んだが、電車がこない。この電車に乗れればパルマでの乗り継ぎが確実で、この次の電車だとちょっとギリギリすぎて危ない。もう、行ってしまったのだろうか?
予定していた電車に間に合ってホームへ駆け込んだが、電車がこない。この電車に乗れればパルマでの乗り継ぎが確実で、この次の電車だとちょっとギリギリすぎて危ない。もう、行ってしまったのだろうか? 駅員さんに聞いてみると、「その電車は今日は走っていないその次の電車で行ってくれ。」とのことなんと30分後、なんとかパルマでの乗り継ぎに間にあって欲しい。ユーロ新幹線がホームへ滑り込んできた、普通切符しか持っていないが取りあえず乗車。車内検札で乗車料金より高い特急料金を払い、とにかくパルマへ急ぐ、パルマに到着、乗り継ぎもよくパルマからのローカル線にも間に合った。目的地は、急行で1駅めのコレッキオ(collehio)しかし、このローカル線の切符を買っていない。
飛び乗ったローカル線の車内の車掌らしき人にきいてみた、
「あなたから、コレッキオ(collehio)までのチケットを買えるか?」っと聞いたら「no」
「チケット売場で買うのか?」と聞いたら「no」
「たばこ売場」と言っているが彼がなにを言ってるいるかわからない。
しょうがなさそうに彼が連れていってくれることになった。行ったのは、売店。
ローカル線の乗車券は、売店で売っていた。これが、たばこ売場と言っていたことなんでしょう。
チケットを手に入れて電車に乗り込み発車して10分ほどで、目的の駅に着いた。
「まさか!?」と思ったがとにかく降りた。ホームに立った瞬間、「やってしまった。」ととっさに思ったが手遅れ、乗ってきた電車は行ってしまった。
駅のホームには家畜の糞尿のにおいが漂うこの駅に降りたのは、私一人、駅舎まで行ってこの町の情報を得ようと思ったら駅舎は閉鎖で無人駅。
柵の脇から外へ出て町に行って情報を得ることにしたが、なんと平日の昼間にBARもCafeも閉まっている。町にも人がいない。「しまった!」手持ちの時刻表でパルマに戻る電車を調べたが40分後、40分間でこの町の情報を得てこのまま進めるか?パルマに戻るかを決めなくてはならない。
駅前?嘘のような田園風景!
少し歩いて行くと小さいカフェがやっていた、ここに入りビールをもらいカウンターの女性にきいてみた。
「タクシー乗り場は、ある?」 「no」
「レンタカーは、ある?」 [no」
外人がめずらしいのか後ろの方では、お年寄りたちがなんだかごそごそと話している。
「バス乗り場はある?」 「5分ほど歩いた国道沿い。」
バス停まで歩いて行ってみたが、バスは、当分来そうにない。バスの行き先は私の目的地とは、違う方向。駅に戻りパルマへ戻り、仕切り直しをする事に決めた。
何となく思っていたがパルマからローカル線で10分のところなのに、こんなに小さい町とは、びっくりした。無人駅に戻り、チケットを買いたいが自販機もない、切符のチェッカーは、あるが、仕方なく、電車に乗って車掌さんから買うことに決めて10分遅れて来た電車に乗り込んだが、車掌さんがいない。ハッハッハ(-_-!) まいった。やがてパルマに到着して電車を降りた。
運転手さんに声をかけたが忙しそうに無視してカフェへ行ってしまった。私がいる場所は、パルマ駅のホーム。イタリアでは、改札がない。電車から降りたらそのまま出られる、、、、、。
時間がない駅から出るか。タクシーもバスもどうも時間ばかりかかってしまいそうなのでレンタカーを借りることにした。駅のインフォメーションでレンタカーオフィスの場所をきいて、レンタカーオフィスで予約ナシで今から車を1台貸してくれるか聞いたら、小さいのならあると言う、その小さいフィアットを借りた。レンタカーオフィスは、6時半で閉まるからそれまでに返さなければならない。
時間は、5時間ちょっと、朝、市場で聞いた町までは、20kmほど道さえ間違わなければ30分くらいで最初の町に着けるが
そのフィアットを借りた。レンタカーオフィスは、6時半で閉まるからそれまでに返さなければならない。時間は、5時間ちょっと、朝、市場で聞いた町までは、20kmほど道さえ間違わなければ30分くらいで最初の町に着けるが、しかし、そこでハム工場が見つかるかどうか教えてもらった町は、全部で3っつ、手前からSalaBeganza、その先がFelino、一番遠い30km位の町がLanghiranoには、ハム工場が多いと言っていた。
そこまで行ってでも、工場の建物だけでも見たくなってきた。車に乗り込み走り出す。
昨日の日曜日パルマの町中をうろうろとしつこく歩き回ったので少々の土地勘が付いていた、曲がり損ねても何とか復活して目指す国道62号にのり、車をSalaBeganzaへ走らせる、さっきの無人駅の町collehioをすぎた、道は間違いない。そう思っているうちに車は最初の町SalaBeganzaへ入った、牧草地帯が道の両側に広がり酪農が行われているのがよくわかる。パルメジャーノレジャーノの原料だろうか?などと思っていたらパルメジャーノレジャーノの工場の看板を発見。車を駐車場に入れて近寄ったが、門は、閉ざされていて直売所にも人影がない。
あきらめて縦長の細い窓が並ぶ建物を探しながら車を進めた。(余談:小さいフィアットもよく走る、この車種には、スポーツモデルの設定もある、スポーツモデルは、よく回るいいエンジンだろうと思ったりする。)
車は、牧草地帯を抜けて次の町Felinoに入った。最初の目的地SalaBeganzaでは、生ハム工場は見つからなかった。
Felinoの看板を確認して車を進める相変わらず目が追っているのは、看板と縦長の窓のある建物、プロシュットの看板は、なかなか目に入ってこない。Felinoに入ってから随分走った、ここもあきらめて次に行くかな?Langhirano方面の標識が出てきはじめた、Felinoの町が終わりに近づいているのだろう。と、そのとき、プロシュートの看板。
-ロマーニャエミリア最終日・パルマハム工場発見-
Langhirano方面の標識が出てきはじめた、Felinoの町が終わりに近づいているのだろう。と、そのとき、プロシュートの看板。車を寄せてバックで戻ってみると工場への入り口らしき道がある、その先には、新しい建物にブランド名が大きく書かれている。
更に車を進めて開かれた門を進み構内へはいる、迷惑にならないところに車を止めて、建物を見ると白い外壁にグレーの細長い窓が並んでいる、手前の建物の上部の窓には、肉を運ぶときのレールと思われるものがある、間違いなくプロシュート工場である。受付のようなものが無いか歩いていると初老の方が歩いている、大きな声で「ボンジョルノ。」と近づき、「私は、日本から来た。」と英語で自己紹介をして、「工場を見たい」とイタリア語で書いた、町で使っていた紙を見せた。すると受付室のなかに入れてくれて奥の人を大きな声で呼んでくれた。そこの部屋に掛かっている絵には、今の人が描かれていた。
「社長さんか?」などと思っていると奥から女性が出てきて事務所へと入れてくれた。
彼女は、英語がしゃべれるらしい。まず最初にきかれたのが、ここまで来た目的、(インポーターなのか、レストラン、デパートのバイヤーか?などということ)私の答えは、no。最初に言ったのが自分があなた達には、なんのオファーも持ってきていない、私は、日本で小さいハム工房をやっていて15年前に食べたパルマがおいしくてまた食べたくて、見たくてやってきた。ということを話した。事務所内の他の人と先ほどの初老の男性(社長さん?)がイタリア語で話している。
もう1度さきほどの女性が確認してきた。
「You have no offer for us.」
「Yes,I have no business for you,I’m sorry.」
もう1度さきほどの女性が確認してきた。
「You have no offer for us.」
「Yes,I have no business for you,I’m sorry.」
全く、こんなときばかりは、yesである。
その女性が内線をかけてロッカーから1冊のパンフレットを持ってきて渡してくれた。
ここまで来れたのだから「よし。」としようと心を決めた。すると、部屋のなかに白衣を着た男性が入ってきた、彼に私のことをその女性が話している、これで終わりだな、しょうがない、
「You go with him Prosciotto Fabbrica inside.」
私は、サンキューとグラッチェとありがとうの連発でした。ついでに、写真撮影の許可までとった。自分ながらちゃっかりしてる、なんて思いながら彼についていきました。彼は、ハム製造の工程順に案内してくれました。
豚肉の搬入から塩もみ、塩漬け、熟成を段階を追って案内してくれました。工場内は、ほとんどの作業が終わっていて人がほとんどいません。工場内は、建物が新しかった事もありますが、あらゆるところでオートメーション化され衛生に保たれていました。エレベーターには、搬送用のハンガーレールがついていて各行程の部屋へこのエレベーターで運んでいることがわかります。
ほとんどの壁がステンレスで衛生にかなりの気を使っているのがわかります。2つ目のエレベーターに乗ったときに案内をしてくれた方が白衣のポケットからダスターを取り出し不意に見つけた汚れた箇所を拭いている姿はまさしくこの工場の衛生概念と姿勢がしっかりしていることを確認しました。
パルマハムは、ほとんどの部分が豚の皮で覆われていますが1カ所だけ切断面があります。そこを2回に分けてラードで覆います。熟成の中間時と仕上げ数ヶ月前の2回です。この行程には、2カ所とも作業している人がいて、明るく陽気に僕を迎えてくれました。
案内をしてくれた人は、一生懸命イタリア語で説明してくれるのですが、その1/3も聞き取れず申し訳ない気持ちでした。最後にハムの前で写真をとってもらい念願だったパルマハム工場の見学がおわりました。最後に事務所に戻り、感激のあまりお礼を連発し握手をしてもらいました。そして、最後に「今日のこのことを東京に帰って多くの人たちに話をする。」こと約束してきました。連絡先とパンフレットを数部いただいてきました。ご興味のある方は、ご連絡ください。
FAX:03-5936-0286 mailto:kunihiro@goodham.com
清潔なきれいな工場のおいしいプロシュットです。
-ロマーニャエミリアを後にして-
興奮のなかパルマの旅は、終わりました。パルマハム工場からパルマ駅への帰り道チーズ工場を1件見つけて寄って行きました。
ここにも直売所があり中には、女性がいました。少しだけ話をして帰ってきました。彼女は、パルメジャーノレジャーノの作る苦労とそのおいしさを一生懸命話していました。3年ものより本当は4年ものがおいしい。日本には4年ものは、行っていない。と話していました。そうと聞いたら無性に食べたくなって少しだけ買ってパルマの山をあとにしました。
パルマの駅までの帰り道は、ほぼ1本道。1回だけ道に迷っただけで、無事に車を返し、電車でミラノに向かいました。明朝の飛行機でミュンヘンへ飛びます。ありがとう、パルマ。
そして、私を応援してくれたロマーニャエミーリアのみなさん。ありがとうございました。
パルマからミラノ行きの2等席のなかで
◇みなさんからいただいたメール&FAX
・おめでとうございます。良かったですね。イタリア紀行楽しく読ませていただきました。私もイタリアへグルメ旅行したくなりました。 横浜市/藤原様
・とうとうパルマ・プロシュットとご対面できましたね。ほっとしました。 奈良県/中村様
・ヒヤヒヤしました。なんとイージーゴーイングなっ!なんて思っていましたが、スゴイパワーですね。 岩手県/篠様
-イタリアからドイツへ-
感激状態のままパルマから電車に乗りミラノへミラノに着いたのは、夜8時頃、地下鉄に乗り換え初日に泊まったホテルへ、実は、この1泊を忘れていてホテルを用意していませんでした。ミラノ着がこんなに遅くなるとは、思っていなかったのですが、初日のチェックアウトの時にふと気がついて予約を入れたので良かったです。ホテルの近所で軽い夕食を済ませ、ワインを1本買ってホテルに戻りました。パルマ生ハム工場でとった写真をインターネットで東京に送りました。
明朝は、ドイツ・ミュンヘンへ移動です。朝暗いうちからホテルを出てミラノ国際空港に向かいます。地下鉄とシャトルバスで1時間半位です。ミラノからミュンヘンへは、アルプスを越えるだけという印象の1時間半の空の旅です。数々の小さなハプニングを除けば無事にミュンヘンにつきました。
ちなみに数々の小さなハプニングは、
○ゲート番号がボーディングパス(航空券?)の印字とモニターのインフォメーションがちがっていた。−搭乗5分くらい前に確認して急いで移動して事なきすみました。
○ミュンヘンまでの国際線の飛行機が40人乗りのプロペラ機のプロペラをはずして代わりにジェットをつけたような小さい飛行機だった。−ちょっと驚いた、国際線なのに。
○その小さい飛行機に乗客がタラップ(脚立みたいに華奢なもの)を登って搭乗中の出来事。
1.乗る飛行機のタイアが1個壊れていて2人がかりで必死に修理していた。
−大丈夫?タラップを登っている乗客は、みんなその様子を凝視していて搭乗が進まない。
−修理のためか出発が1時間遅れたが、なにもアナウンスは、なかった。
2.飛行機前方では、コックピット(操縦席)の窓を開けてパイロットが窓のパッキンをはめていた。
−コックピットの窓開くの?&パイロットが今なおすの?ハッハッハ、what’s a FANTASTIC.
○ユーロ内の移動なので出国も入国も手続きナシ。小さい飛行機はアルプスのギリギリ上を飛んでいました。アルプスを見下ろすちょっとしたアルプス見物です。これはラッキーでした。
そして、
-ドイツ・ミュンヘンのお出迎え-
ミュンヘンへ無事に到着しバッグを受け取ってキャスターに取り付けて出ようとしたら、ドイツの私服警察3人に囲まれました。これが最後の小さなハプニングかな?
ミュンヘンへ無事につきバッグを受け取ってキャスターに取り付けて出ようとしたら、ドイツの私服警察3人に囲まれて、2,3質問を受けた。
ドイツ警察「どこから来てどこへ行く?」
わたし 「ミュンヘンに観光へ、ミラノから来た」
ドイツ警察「パスポート見せろ。」
−−パスポート手渡した。
(もちろん、私の日本の赤いパスポートです。)
ドイツ警察「日本人か?」(どういうこと?)
わたし 「yes」
(君のもっているのは何処のパスポートだ。)
ドイツ警察「いつ帰る?」
わたし 「2日後の飛行機でミラノ経由で帰る。
チケットもみますか?」
ドイツ警察「見せろ」
−−バッグの中のチケットを探してると、その最中に、
ドイツ警察「日本人か?」
(どういうこと?2度目の質問)
わたし 「yes」
(何人に見えるの?そんなにあやしい。)
−−帰りのチケットを手渡そうとすると、
パスポート返してきて、チケットも受け取らずに。
ドイツ警察「行ってよし。」
わたし 「ダンケ。」
と細かいハプニングが少々ありまして、無事、ミュンヘンのホテルに入りました。
-久しぶりのドイツ・ミュンヘン-
無事、ミュンヘンのホテルに入りました。まずは、広場の市で腹ごしらえに出かけました。
地下鉄の駅から外にあがると目の前にダルマイヤー(ミュンヘンきっての高級食品店、パリのフォションと並ぶ名店です。)中に入ってひととおり見させてもらって、相変わらずの商品のすばらしさと盛況はさすがです。出ると隣はナイフショップ、日本でも有名なブランド店があります。
やっぱり気になりちょっと覗いて、ヤスリ棒(肉屋さんがナイフと刀みたいな棒でシャキシャキやっているあれです。)を1本買いました。やっと目指す広場についてビールとレバーのフライシュケーゼとポテトサラダ&バイツェンビァでお腹をうめました。これぞドイツの味ですね。
広場の市は、テントのお店が毎日出ています。ここは、ミュンヘンに1度来た人なら足を運んでいると思います。肉屋さんは、ほとんどが自家製ソーセージ、ハムをつくっています。チーズ屋さんは、ヨーロッパ中のチーズを切り売りなどしています。チーズ屋さんは、ワインも一緒においているところが多いようです。
野菜屋さんは、一番軒数が多いでしょう、10月の下旬に入った今は、大きなオレンジ色カボチャがハローウインを待つように大きな顔です。
そのもう一方冬仕度にはいるためのにんにくと唐辛子が山積みになって売られています。春先の白アスパラ、秋のキノコと野菜屋さんの顔は、季節をしらせてくれます。ミュンヘンは、内陸なので魚屋さんは、2・3軒ほどです。その中でもドイツ1のチェーン店が元気です。その他にも花屋さん、紅茶屋さん、コーヒー屋さん、雑貨屋さんなどいろいろなお店がテントを連ねます。
夕方が近づきカフェは、ソーセージにビールを飲むお客さんで混んできました。お腹をビールとソーセージで満腹にしてホテルへ戻りました。
明日は、ああ早く起きて、卸市場とと場見学です。
今日は、ミュンヘンのと場と食品卸市場へ行く日。
ミュンヘンの肉屋さんの朝は早い、4時、5時から働いている。朝暗いうちから起きて、ホテルを出てタクシーに注意しながら駅に向かって歩いていると、1台のタクシーが来た、「ラッキー」。
地図で見る限り、泊まっているホテルの通りから1本道で距離にして3・4kmくらい、電車でもは、乗り換え乗り換え更に早朝で電車が少なく結構な時間がかかってしまうのでタクシーはラッキーだ。
屠場につくと、運転手さんは、この両側がそうだという、大きな豚用トラックや精肉用トラックが頻繁に出入りしている方へ道を渡った。車は出入り口が一方通行になっていた、入り口には、守衛さんが立って1台1台チェックしている。私は歩きなので手前の出口から入って行った。
さすがにドイツ・ミュンヘンのと場は広い、奥のほうまで歩いていって屠殺場の建物へ入っていった、想像以上に衛生的で作業もてきぱきと進んでいる、日本の作業方法とは、手順がかなり違う。
肉質も私好みのおいしそうなものが多い。さすが本場バイエルンミュンヘン。
ミュンヘンのソーセージの伝統は、職人さんたちの努力ももちろん、職人制度ももちろん、この生産段階から既に始まっているのが伺える。生産農家さんたちの努力のたまものであることは、間違いない。余談ですが、イタリア・パルマのハムも全く同じ事が言える、数々のハムの肉質の良さ、均一性がパルマハムの伝統を守っている。
などと考えていると声をかけられた、「何をしている」
私は、見物と応えたら、「写真は撮るな」とだけ言われて、その人は作業レーンに入って行った。
日本と同様いろいろな仲買さんたちが屠場併設の市場に入っている、少し覗いてみるとお店が冷蔵庫になっているところがいくつかある、冷蔵庫の中に冷蔵ケースを並べ徹底した温度管理をしている。各部位の肉が真空パックになって1パック単位で販売されている。昔に比べるとコンテナに入っての部位別流通が多くなっていると聞かされた。ちなみに日本も同様です。
大都会ミュンヘンでは、農家が豚をあげてきて肉屋(ソーセージ、ハム屋)さんが引き上げていくパターンは、ほとんど無いらしい。「地方に行けばまだある。」とのコメントもあった。
ということは、生産者別の肉の流通はほとんど無いと言うことです。
例えば私のように黒澤牧場さんの豚が欲しいといっても現状と同じように特別なルートを個別に造らないとならないとうことです。
別の市場を覗いてみた、ここには、ソーセージ、ハム、イタリア・フランスから輸入されたハム、チーズに、ワイン、パンに香辛料、ジュース、ナイフや肉屋の小道具まで売られている。この市場は、契約会員のみに販売されて部外者は、仕入れ購入ができませんでした。
ここで仕入れて行くのは肉屋さん、カフェなどである。自家製でソーセージを作っている肉屋さんも全品自家製ではなく品物によっては、この手のものを仕入れているところも最近では、増えているとのこと。大手メーカーから中小メーカーまでの商品がいろいろと陳列されていた。
隣の市場を覗くとここは、大手肉メーカーの販売所でした。全商品が統一されたブランドで埋め尽くされている。ここの商品人は、あまり興味を覚えませんでした。
今度は、道を渡って反対側の1軒を覗いてみた、ここは、肉屋さんハム屋さんなどの原料肉以外の雑貨類の仕入れどころです。長靴、白衣、ナイフ、台車から、洗剤、包装用の袋、肉を入れるトレー、ソーセージに使う道具なども売られていました。私もここで日本では、なかなか手に入らない小道具を買ってきました。市場の周りにも数々の卸店が自家製のソーセージ、ハムなどを販売しています。
ミュンヘンのと場、肉卸市場は朝早くから元気です。
ミュンヘンのと場をあとしにて食品卸市場へ向かいました。と場から地下鉄で1駅のところにあります。地下鉄の駅からあがると仕入れに来たトラックから小さいバン、野菜やフルーツを運んできた大きなトラック、トレーラーまでが忙しく往来しています。
そんな風景は、東京の太田市場を思い出させます。ミュンヘンの市場の中に入ると大きな建物がいくつかあります。まずは、左手前の新しい建物へ入ってみました。
この建物は、野菜をメインにした仲買さんが入っているようです。
[auction area]のサインもあります。ここで競りも行われているのでしょう。今では、朝の混乱も終わり各店あとかたづけや配達の準備です。
次は、反対側の少し古い建物に入ってみました。ここは、フルーツをメインに野菜も少々扱っている仲買さんたちです。スタンドカフェや店舗用雑貨のお店もあります。朝のピークを終えて一段落しているのがよくわかります。こちらでは、個人の方や、カフェなどをやっている方たちが乗用車やバンで仕入れにきている姿も見られます。
ミュンヘンに来てからとにかくトマトがおいしそうです。朱色にきれいにおいしいそうに熟れたとまとが町でも見かけられましたが、ここでもトマトが目を引きます。
その他には、キノコに葡萄にリンゴに、ニュージーランドなどからの輸入果物も見られらます。ヨーロッパのソーセージとビールの都、ミュンヘンの台所は、元気です。
-ミュンヘンの食肉価格-
ミュンヘン・デパート
ドイツのお肉屋さんは、ほとんどのお店でソーセージを作っています。ソーセージを販売していないお肉屋さんも見られます。また最近では、ソーセージを仕入れて販売しているソーセージ屋も増えているそうです。肉の仕入れ形態も日本の流通同様に変わってきているようです。
ドイツのソーセージがおいしいのは、職人さんの努力もさることながら、生産者の努力の貢献も大きいところです。小売店、スーパー、デパートを含む高級店と数件を見て歩きました。
価格は、日本の半額、もしくわそれ以下です。
ベーコン 15〜18DM/kg
腸詰スモーク 20〜22DM/kg
腸詰白 18〜19DM/kg
鶏むね肉 13DM/kg
豚ひれブロック 30DM/kg
豚ロースブロック 17DM/kg
豚バラブロック 10DM/kg
(これは、デパートの価格なので一般のお肉やさんは、もう少し安くなります。)
もちろん、小売り段階でのパッケージの大きさや流通の仕組みなどの違いも、価格に反映されていると思いますが、肉用豚の生産コストが低いことは、確かでしょう。
気候、風土そのたの諸条件が豚生産にあっているのでしょう。
ロマーナエミーリア地方も豚肉が安かった。ハムなどの加工品は割合高価な値段でしたが、生肉は、安かった。
-ミュンヘン最後の夜-1-
明日は、朝早く、空港へ向かいミラノ経由で東京へ帰ります。今日1日でヨーロッパでの散策もほぼ終わります。朝早くからと場と卸市場へでかけた後、荷物をおきにホテルへ戻りました。
ラッキーなことに朝食にぎりぎり間に合い、ソーセージとコーヒーで朝食をもらい、市場で買ったものを部屋において、外へ出ました。予定していた見学は、全て終了し、荷物を簡単にまとめ、この午後は、観光です。なんとなく市街へ出てうろちょろとしていました。
バイスビアを飲んでレバーケーゼを食べて、ヴァイスヴルストを食べてとミュンヘンのカフェを楽しみました。目の前では、からくり時計が動き出し、観光客は、みんな足を止めて見上げています。10分ほど動き続けるこのからくり時計には、ストーリーがあります。
2つの城が戦い、戦争のあとに仲直りすると言う話です。なんとも、ドイツでのこの話は考え深いものです。
夜には、観光地として有名なビアホール”ホフブロイハウス”へ出かけました。
ここは、バイエルンの王様のためにつくられたビール醸造所でした。ここで、四国・香川から研修旅行できている団体さんとチェコから来た旅行者とアメリカから仕事で来ていた方、ミュンヘン生まれの若き青年たちとこのヨーロッパ最後の楽しいビアホールの夜となりました。
チェコから来た旅行者4人は、大柄でがっちりした体つきですぐに腕相撲をやろうと言ってきます。
私の腕の2・3倍は、あるような太さの腕で私が勝てるわけありません。もちろん惨敗です。
いいように遊ばれていました。四国からの研修旅行組は、ビアホールの勢いに任せてみんな楽しそうでした。ミュンヘンの若き青年は、リーゼントに革ジャン決めて英語で通訳をしてくれます。
彼は、20歳、ミュンヘン生まれのミュンヘン育ち、弟がニューヨークに住んでいて毎年遊びに行くそうです。英語は、そこで覚えたと言っていました。彼の仕事は、ミュンヘンで農家さんのホローアップの仕事をしているとのことです。見かけに寄らず硬い仕事をしていました。
ミュンヘンの若き青年は、リーゼントに革ジャン決めて英語で通訳をしてくれます。彼は、20歳、ミュンヘン生まれのミュンヘン育ち、弟がニューヨークに住んでいて毎年遊びに行くそうです。英語は、そこで覚えたと言っていました。彼の仕事は、ミュンヘンで農家さんのホローアップの仕事をしているとのことです。
指導、肥料その他資材の提供などをやっているそうです。私は、ドイツの農協さんかなと思い聞いてみました。そうでは無いとのことです。名刺もくれました。
株式会社で、農業博士の社長が農家のためにやっている会社だと言っていました。
彼は、「オーガニック農業は、非常の大切だけど、大変コストもかかるし、むずかしい、挑戦して収入をへらしている農家さんもすくない。でも、これからは、ドイツには、オーガニックが必要だ。」と言っていた。
「でも、ここはシュタイナーの国だから、世界からみてもオーガニック農法が進んでいるほうじゃないのか?」と聞くと「それは、1部だけだ。」と小さい声で応えていた。さすが議論好きのドイツ人の彼は農法の次に、ソーセージをつくっている私を見て「GNP(リン酸塩)を減らしてくれ、ドイツには、ハンディキャップを持っている子供が多い、これは、GNPの影響も大きい。」と彼は、陽気なビアホールでまじめな顔になって私に言った。
わたしは、「私は、GNPは、使っていない。その他のケミカルもすべてフリーだ。」と言ったら大変不思議な顔をしていました。「君のソーセージはオーガニックか?」「オーガニックでは、ないが、化学薬品の使用はない。」と言ったら驚きながらも喜んでくれました。
彼がとてもいいボスのもてで仕事をしていることが彼との会話でよくわかります。彼のような人がもっともっと増えてくれることを私は、心から望んでいます。日本にも彼のように若い人で彼のような考えで農業に取り組んでいる人が増えてきています。
価格、近隣農家さんなどまだまだ、多くの壁は、大きくそのなかでも1歩1歩進んでいこうとしている農家さんが増えていることは私たちにとってうれしい限りです。
-ヨーロッパ1人旅を終えて-
今回のヨーロッパはきわめて衝撃的でした。
2年ほどまえより生ハムづくりをはじめ、去年の春やっと製品として仕上がりました。
急に15年前のパルマハムとの出会いが気になり、パルに行きたくなり見たくなりました。
15年前のイタリアではいろいろと見たのですがなにもわかりませんでした。ハムもチーズもビネガーもワインもオリーブオイルもただただおいしいおいしいと口に運ぶばかりでした。
今回、地図を片手に一人歩きをしてみて実感したのが、「はじめに気候風土有。」気候風土にあった農業が行われ、その農産物から気候風土にあった加工品、醸造品、発酵食品がむりなく生まれてきています。葡萄も豚肉も酪農もトマトも気候風土にあった農産物です。バルサミコ酢もパルメジャーノレジャーノも生ハムも気候風土にあった加工品です。そしてその気候風土と農法、製法をかたくなに守って今に続いているのです。川もきれいで、山もきれい、空もきれいでした。もちろん、一部では時間短縮のため、コストダウンのために製造効率を上げるための近代的技術が導入されています。ただ、自らの文化を自らの手で破壊していくような技術の導入はあまり見ませんでした。自然と生きる、地球と生きるということが大前提にあるように思われました。1999.9