バスクを目指す食の都めぐり<5-サンセバスチャンへ>

san sebastian

今回のメインの目的地、サンセバスチャンに到着。今回唯一の連泊の街。ここで市場とバルをどのくらいみれるか?食べられるか?

バスでサンセバスチャンに入り、ホテルまで10分程度散歩がてらゴロゴロとバゲージを転がしながら歩く。海辺の近くの街中のホテル、チェックインの為に数人が並んでいた、みんなは、大きな荷物を預けていたが僕たちは部屋に入れた。部屋に荷物をおいて早々に散策、シエスタ間近なのでまずはビールで一服、ウエディングの缶からをひきずった車が目の前の信号でストップ周り中から御祝いの言葉が飛び交う!

バルが集中する旧市街地へ足を向けた、土曜日の午後5時頃、明るいのに路地は、人であふれている。ここを訪ねる観光客のほとんどがこの旧市街地のバルが目的だろう。人があふれているバルとすいているバル。気になるバルを見つけて休憩しながらうろうろしていた。スペインの夕食は遅く9時頃から始まる。土曜日の今日は、混んでいるので深入りせずに出直すことにした。牛肉がおいしいバル、鴨がおいしいバル、魚がおいしいバル、ムール貝がおいしいバル、チーズケーキがおいしいバル、日本料理を勉強しているバル、今晩が楽しみ。

 

 

バスク地方

イクリニャ(スペイン語: Ikurriña、バスク語: Ikurrina)バスクの旗

ピレネー山脈の南北の両側にわたり大西洋をのぞむエリア。現在では、フランスとスペインの国境をまたぐエリア。ここに住んでいた人たちをバスク人と呼ぶ。長い歴史のなかに抑圧されていた時代がバスク語の使用が禁止されたり、中央政府にコントロールされた時代が続いた。元々民族意識の強いバスクの人たちのイクリニャという旗は、バスク人の血の赤とこの地の緑(オークの木)とカトリックの白の十字を意味している。また、バスクには、選手をバスク人だけに限定しているチームもある。アスレティッククラブ・ビルバオ。レアルマドリッド、バルセロナFCと共に2部に降格したことない3チームの内の1チームだ、もちろんバスクの埃。1980年頃からスペインが開かれバスクにも世界の文化が入ってきた。料理では、当時流行っていたフランス料理の文化のヌーベルキュイジーヌが入り込んだ。ビアリッツ、サンセバスチャンともフランス、諸外国からのリゾート地として盛んになりヌーベルキュイジーヌは、ここバスクで加速的に浸透していった。また、秘密倶楽部のような存在の「美食倶楽部・ソシエダ・ガストロノミカ(SociedadGastronomica)」が古くから100軒くらい存在している。厳しい会員制度があるが活動としては男のお料理倶楽部、それぞれの倶楽部が部室のようなスペースを保持して、各倶楽部の会員が自由に料理をしてその料理をお酒とおしゃべりと共に楽しむ。1980年の若者たちが、フランス、イタリアで調理の修行をしてきてサンセバスチャンにもどってこの美食倶楽部の習慣から毎週のように調理の勉強会が開かれている。サンセバスチャンのバルもレストランも互いに競い合い互いに助け合い成長を続けているそして今のような美食街に育った。そこには、美食好きという住民の生活がこの業界をバックアップしていることも忘れてはならない。